Wings
80th FS
(2007)
(2006)
(2006)
ベトナム戦に於ける目覚ましい活躍で有名になった第8戦術戦闘航空団(8th TFW)の起源を辿ると、第1次大戦のフランス戦線にまで遡る事になる。当時は第8戦闘機グループ(8th FG)として、1917年にテキサス州キャンプケリーで創設された後、当時ドイツ帝国と対峙していたフランスの戦線に送り込まれている。その後1931年4月バージニア州ラングレーフィールドに移動しそこでは訓練飛行を担当した。

この飛行隊は陸軍所属であったが、1940年に記録の中にP-40戦闘機を使って空母ワスプからの発艦テストを行ったとされたり、P-39エアコブラのテスト飛行を担当したと書かれていることから、実験飛行隊の要素を持っていた部隊だったのだろう。第2次大戦勃発後アイスランドに配備され、P-40を操縦するジョセフ・サーファー中尉が ドイツ空軍の長距離哨戒機Fw-200Kを撃墜してシルバースターを受賞した。

 太平洋戦争開始後日本軍の南下によりオーストラリアの防衛が必要となった。その際、この部隊は1942年1月サンフランシスコからオーストラリアのブリスベーンに移動し防空の任に就く事になる。この辺から日本との関わりが深くなってくる訳であるが、オーストラリア本土とニューギニア戦線を往復しながら大戦中は日本軍と対峙してしてきた部隊であった。
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8th TFWの2個飛行隊の1つ80th TFS(現 80th FS)は、スコードロンネーム”Hadhunters”はそのまま首狩族の意味だ。彼らが部隊名にこの名を付けたのは、ニューギニア戦線で戦っていた太平洋戦争時の事。1943年ニューギニア・ボルネオに多かった首狩の風習を持つ原住民に因んでつけた部隊名であるとされる。インシグニアの人骨が”V”字担っているのは勝利"Victory"を示す。

 首狩族というと何か特殊な部族に聞こえるが、ヨーロッパでもアジアでも戦争に勝利した時に相手の首を落として凱歌を挙げると言うのは、極自然に行われていた事であり特に珍しい習慣ではない。日本人は、特に大和朝時代から「首(みしるし)頂戴いたします」と敵将の首をおとして、それを勝利の証拠や代償を得る証として自らの君主に差し出した。雑兵でも取った首の数で出世が決まったぐらいだから、アジア有数の首狩族であったわけだ。太平洋戦争時代に至っても首を落とす習慣は中国戦線 東南アジア方面でも散見され欧米から残虐などと言われたが、元は欧米でも日常茶飯事に行われていた事である。
 文明が発達してからは野蛮な行為として、ヨーロッパでは余り行われなくなり、未だにその風習を持つ原住民を”野蛮人”のように「首狩族」と呼んで特別扱いしたが、元々世界中の何処でも行われていた事なのである。現代社会でも新たな首狩族が、これを商売として活躍し会社から優秀な人材を高い報酬で刈っていく。
8h TFWのシンボルである狼の頭は、尾翼に移動しインテークに首狩族のインシグニアを描いている。正にタッチダウン直後でエンジン排気口両側のエアブレーキが作動し減速をかけている状態。この機体は、80th FSの酋長機である。
↑ 上写真は、1992年横田基地に飛来した首狩族の面々である。既にA型でなく、F-16C型のブロック30となっている。
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F-16C/Dのブロック30を使用してきたこの部隊は、F-110エンジン搭載のブロック30-Dと言うタイプだそうで、チャフとフレアの搭載量も倍増したタイプだそうだ。シスタースコードロンの35th FSが先にブロック40に移行した後も暫くこのタイプを使った。
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ファントムの時代にはよく見られたALQポッド(ALQ-184)、つまり電波妨害用のポッドであるがF-16に取り付けた所を見る機会は少ないように思える。その中でも上下写真のF-16Cは、AN/ALQ-184電子妨害ポットを携行おり地上からの地対空ミサイルからの自衛手段としている。
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80th FSに所属していたF-16C/Dは、機体の交換でほとんどがアラスカ州イールソン空軍基地の18th FSと入れ替わってしまった。下は、2009年8月22日横田基地のOHに展示された第8航空団 第80戦闘機中隊のF-16Cであるが、F16C/90-0717は2006年アラスカのエルメンドルフで私の目の前をタキシングした機体である。でも新しいシリアルの機体が撮れる事はマニアにとって嬉しい事である。
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80FSのパイロットたちは殆ど1年で交代(単身赴任)、訓練の機会を増やすため所有する3F-16D複座型での爆撃投弾も行っている。黄海の霧による訓練期間の限定により 投弾訓練の機会は少ないそうだ。

80th FSのインテークカバーには、首狩族のシルエットが書かれてあった。槍を持って踊りかかるニューギニアの首狩族 ニューギニアに由来している事を知っている人は部隊所属の若いパイロットでも少ないだろうが、イメージはだんだんとオカルト的に変化している。 
Yokota AB in Aug-20-2011
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The Period of F-16C/D
80th FSでは、首狩族という部隊名の他 ”Juvats”と言う聞きなれない部隊名を使用する。本来Juvatと言うのはラテン語では”ユワァッツ”と発音するようだが 本来「助ける」と言う動詞である。米空軍ではラテン語のモットーをインシグニアに入れ込むのが流行していた時代があり このJuvatsは、元々多くの要員をもらった第391戦闘迎撃飛行隊のモットーであった”AUDENTES FORTUNA JUVAT”から由来している。 "Fortes Fortuna Juvat"は、運命は強いものを助ける””AUDENTES FORTUNA JUVAT””幸運は勇者に味方する。”で この中から何故かJuvatsだけが抜き出されて使用されているのだ。戦闘部隊のモットーとしては実にすばらしいフレーズで 彼らが使いたがるのは理解できる。
彼らは太平洋戦線では、P-38を主として使用し225機の日本軍機を撃墜 朝鮮戦争ではF-80で20機の中共および北朝鮮機 そしてベトナムでは6機のMigを撃墜している猛者でもあるのだ。
Juvatsとは?
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この飛行隊に3機存在するF-16D(複座型)には、写真でもわかるようにエンジンのインテイク右にAN/AAQ-14照準ポッドを搭載し単座と同様の訓練に使っている。
米韓相互協力を示すパッケイジポッドのマーキングと パイロットの肩章に示すデザイン。特にラテン語と思われる”VENEFICI BELLUM"は、毒殺者の殲滅を示しており 18世紀の哲学者カントの「永遠の平和のために」と言う著書の一説から取っている可能性がある。よくわから〜ん・・・